ベンリイレーシングCR93

■ホンダ ベンリイレーシングCR93

1959年にマン島TTレースに初チャレンジしたホンダだったが、5年の歳月をかけて完成した期待のRC系工場レーサーは、カルロ・ウッビリア、ゲイリー・ホッキングらを擁するMVワークスに対して、苦戦を強いられることになった。この時期、RC系工場レーサーは、高回転域で慢性的に発生するミスファイアーに手を焼いていたのである。こうしたトラブルが、ベベルギアとバーチカルシャフトによるカムの駆動系統にあることに気付くまでに、まるまる2シーズンが費やされることになった。1960年に登場した250ccクラスの4気筒レーサー、RC161 がギア・トレーンによるカム駆動を導入して目覚ましい成果を上げるに至って、ホンダは件のベベルギアに精度上の問題があることを認識したのである。そこで、来る1961年シーズンに向けて、すべてのエンジンがギア・トレーン方式に改められることになった。

 もともとホンダのRC系GPレーサーは、シリンダー当たり4バルブを採用することにより、バルブ系の単体重量を軽量化することによって追従性を高めた、高回転/高出力型エンジンを特徴としていた。カムの駆動系統をギア・トレーンに変更したことにより、レブリミットまで淀みなく吹け切るようになったホンダのRC系GPレーサーは、1961年を境に破竹の快進撃を開始することになったのである。

 1961年のGPシーンは、宿敵MVがGPレースから撤退したこともあって、ホンダの独壇場となった。トム・フィリス、マイク・ヘイルウッドらによって、念願のTTレースでの勝利をはじめ、125ccと250ccの両クラスで22戦して18勝を収めるという圧倒的な勝率で、ホンダの工場レーサーはダブルタイトルを獲得したのだった。2 RC143(125cc)とRC162(250cc) の怒濤の快進撃によって、HONDAの名声は一躍、世界に轟くことになったのである。

 こうしたホンダの圧倒的な強さを目の当たりにした世界各国の市場からは、当然のごとく、RCレーサーの市販を求めるプライベーターからの要望が沸き上がることになった。しかし、常に改良が繰り返されることを宿命とする工場レーサーをプライペーターに供給することは、実際問題としては不可能な相談であった。そこで、ホンダはRC系工場レーサーのレプリカともいえる市販レーサーを開発して、市場の要求に応えることになったのである。

 カブレーシングCR110 とともに、125ccクラスの市販レーサー、ベンリイレーシングCR93が市販されたのは、1962年 6月のことだった。販売価格は、CR110 の17万円に対して、CR93は30万円前後と高価なプライフカードがつけられていた。大卒の初任給が2万円に届かなかった時代に、CR93はけっして安い買物とはいい難かったわけである。しかし、こうした価格を納得させるだけの最新技術が、CR93には満載されていた。

CB93の最大の特徴は、最新のRC系GPレーサーを彷彿させるような、カム駆動にギアトレーンを採用した並列2気筒DOHCエンジンにあった。このレーシング・エンジンには、ホンダが得意とした180 度クランクが採用されていたのはもちろんのこと、ペントルーフ型燃焼室にはホンダの定石通りに4つのバルブが配置されていた。CR93のエンジンは、まさしくGPレーサーと共通したコンセプトで成り立っていたわけである。また、キャブレターには、GPレーサーで実績を上げていた強制開閉式の京浜製RP28-22 型が2連装されるなど、RC系と共通のパーツが随所に用いられていた。

 しかし、一方では43×43mmというスクエア・タイプのボア・ストローク比はCR93特有のもので、RC系ともロードスポーツのCB系とも異なっていた。このボア・ストローク比の違いは、どういう意味があったのか興味深いところである。

 CR93の最高出力は、16.5Hp/11500rpm と発表されていた。だが、レーシングキットを組み込めば軽く20馬力以上の出力を絞り出すことができたCR93は、当時のトップクラスのレーサーに匹敵するポテンシャルを秘めていたわけである。

一方、フレーム関係はCR93の場合、一時代前のRC143 タイプが使われていた。CR93がデビューした1962年から、RC系レーサーのフレームは全面的に変更され、タンク/シートの下に2本のパイプを並行に通したダブル・バックボーン・タイプとなっていた。同時に市販されたCR110 には、このタイプのフレームが採用されていたが、CR93にはバックポーン式スパイン・タイプと呼ばれた旧式のフレームが使われていた。

 とはいえ、CR93の実力が第一級であったことに疑問をはさむ余地はない。市販レーサーとしてホモロゲーションを受けるために、公道走行用の保安部品を装備した状態でデリバリーされたCR93だったが、なんといっても活躍の場はサーキットが相応しかった。実際、一説によると200 台前後が生産されたといわれるCR93のうち、大半がレーサーに改装されて世界各地のレースを席巻したのである。こうしたCR93の中でも特に有名だったのが、1962年 6月にマン島TTレースに挑戦した1台で、前年の世界選手権125ccクラスのタイトルホルダー、トム・フィリスの駆るCR93は、2台のRC145 に続いて3位でチェッカーフラッグを受けたのである。準ワークスともいえるフィリスのCR93は、RC系ワークスレーサーの赤タンクに対して、市販されたままのシルバーに塗られたアルミタンクが印象的だった。

風倶楽部

バイク全般のヒストリーが中心となります。バイク好きの人たちが気軽に閲覧できるようにオープンな状態を保っていきたいと願っています。アメブロに掲載してきた記事が多くはなりますが、補足を加えていきます。

0コメント

  • 1000 / 1000