CB93 (1964 年)
過激なまでな高性能で人気を博したCB92の後継モデルとして、ベンリイCB93は1964年にデビューした。( このモデルは正式にはCB125 と呼ばれるべきだが、当時も、こんにちも、CB93の方が一般的となっている。CB93は、開発時の社内呼称)
最高出力15ps/10500rpm を発生するパラレルツイン・エンジンは、基本的にはCB92と共通だが、最大トルクは0.01kg-mだけ増強され、1.07kg-m/9200 rpm と発表されていた。これはツインキャブレターを採用するなど、吸気系の改良による結果で、実際にはこうしたスペック以上に扱い易さは向上することになった。
もはやCB92のピーキーさは完全に影をひそめ、CB93の2 気筒エンジンは、あらゆる回転域で素直な出力特性を得ていた。この低速からスムーズに立ち上がるパワーバンドを反映してか、CB93にはタコメーターが装備されていなかった。その代わりに、スピードメーターには各ギアのトップスピードが白線で示されていた。この辺りをみても、CB93は走り一辺倒のロードスポーツではなく、ロングツーリングもこなす快適なロードスポーツに変身していたことが窺える。
フレーム関係では、特徴的な鋼板プレス・バックボーンフレームが廃止され、CB72と同構造のパイプ製バックボーンフレームが新たに採用されることになった。また、前作のCB92の操縦性を決定づけていたボトムリンク式フロントフォークも、一般的なテレスコピック式に変更されていた。つまり、CB93は当時、すでにベストセラーとなっていた、CB72のデザインを踏襲したロードスポーツということができた。しかし、車格的にはだいぶ小振りなCB125 の場合、車載工具がサイドカバー内に収まらず、その下に専用の円筒型の工具ケースを吊り下げていたのが、デザイン上の大きな特徴となっていた。
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ロードスポーツの主力が250ccクラスに移行したなかで誕生したCB93だったが、その成り立ちに決して手抜きはなかった。だが、ピーキーで過激な出力特性のエンジンや、超個性的なスタイルのCB92に心を奪われていたマニアは当初、CBのドラスティックな変身を好意的に受けとめなかった。マイルド化されたCB93は、マニアの目には堕落と映ったのだ。
だが、こうしたマニアの誤解がとけるのに、そう時間はかからなかった。実際にCB93に跨がり、ひとたび鞭をいれれば、CB93はCB92に勝るとも劣らない悍馬ぶりを発揮した。むしろ、設計年次の新しいCB93の方が、性能的に優っていたのは当然のことであった。
やがて、こうした高性能が広く認められることになり、CB93は静かにマニアの心に浸透していった。前作のCB92ほど爆発的ではなかったが、CB93は徐々にではあるが確実に、高い評価を得ることになったのだ。
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CB93にもまた、当時のCBシリーズの例にもれず、レース用の「Y部品」と呼ばれたチューニング・パーツが用意されていた。こうしたキットパーツで武装したCB93は、クラブマン・レーサーとしてもトップクラスの実力を発揮して、各地のレースを席巻した。 また、純レース用の「Y部品」とは別に、当時は販売促進キャンペーンの一環として、メーカー自身によって様々なオプションパーツが発売されていた。なかでも人気の的だったのが、ロングタンクやシングルシート、一文字ハンドルなどで、こうしたオプションパーツを装着したCB93は、市販レーサーのCR93を彷彿させるレーシングライクなイメージが魅力的だった。
CB160 (1964年)
CB92に対するCB95と同様に、CB93にも瓜ふたつの兄弟車が存在した。ベンリイCB160 である。このCB160 に搭載されるパラレルツイン・エンジンは、ストロークはそのままにCB95のボア(44mm) を50mmにまで拡大、総排気量を161ccにまでアップしていた。
この中間排気量のCBは、時代の要求に応えて誕生したモデルであった。1964年といえば、東京オリンピックが開催された年として知られている。この国際的な行事にあわせて、国内では東海道新幹線が営業を開始し、名神高速道路が全面開通した。世にいう“ハイスピード時代の到来”であった。こうした時代背景をバックに、CB160 は高速道路を走行可能な最小排気量モデルとして誕生したのである。
この排気量アップにともない、最高出力は16.5ps/10000rpm 、最大トルクは1.24kg-m/8500rpmに増強することになった。特に有効トルクの増強は顕著で、上級ライダーの手にかかれば、125ccクラスの軽量ボディを利して、CB160 はクラスを超えた動力性能を発揮することになった。
CB160 は、その後の道交法の改正もあって、国内での発売期間は短かった。だが、その後(1965 年〜) も輸出専用モデルとして生産は続行され、海外で高い評価を得ることになった。
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