CB450 K0 (1965 年)
1950年代後半、北米市場にいち早く参入を果たしたホンダは、スーパーカブC100 、CB72/77 と矢継ぎ早に大ヒットを飛ばし、着実にシェアを拡大していった。しかし、一方では大型オートバイの分野は依然、BMW、ノートン、トライアンフといった欧州車の独占市場で、ホンダは小排気量クラスに活路を見出すしかない状況が続いていた。やがて、アメリカ国内のホンダ・ディーラーからは、市場で競争力のある大型オートバイを求める声が日増しにたかまっていった。こうした要望に応えて、ホンダはついに大型オートバイの開発に着手することになる。目標は当然、世界一のビッグバイクだった。
当時、世界最速といわれていたのはトライアンフのボンネビルだった。CB72がアメリカ国内では“ホーク”と呼ばれていたのに因んで、「コンドル」と名づけられたホンダ初の大型ロードスポーツ開発計画は、このイギリス製650 átモデルを当面の目標にスタートすることになった。しかし、コンドル計画が立案された1964年当時、ホンダのオートバイといえば、305ccのCB77が最大モデルだった。いかに世界GPの350ccクラスを3 年連続制覇していたホンダといえども、コンドル計画は未知の領域への挑戦であった。( 500ccクラスの4 気筒GPレーサー、RC180 のデビューは数年後のことだ)
ボンネビルを打ち負かすには、どんなエンジンが必要なのか。社内では、いろいろなアイデアが検討された。なかには、CB77をフルスケールの350 átまで排気量アップするという案まで真剣に考えられた。しかし、既成モデルの改良には、自ずと限界があった。ホンダ自身がGPレースで鍛えあげた技術をもってしても、僅か350cc程度では、650cc相手に勝負になるはずもなかった。
コンドル計画は、立ち上がりから模索の繰り返しだった。
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そして、ついに完成したホンダ初の大型ロードスポーツは、ドリームCB450 と命名されて、1965年の4 月に発表された。
注目のエンジンの総排気量は444cc。技術者は、「従来の650ccに対抗するのに、ホンダは450ccで充分なのです」と胸を張った。実際、このエンジンには画期的なメカニズムが満載されていた。CB450 の並列2 気筒エンジン(70mm×57.8mm) には、量産車としては世界で初めて、DOHCヘッドが採用されていたのだ。ただし、このDOHCエンジンは量産を前提として設計されたもので、ホンダが得意としたGPレーサーのエンジンとは多少異なった構造となっていた。先ず注目されたのが、バルブスプリングにトーションバー・スプリングが採用されていた点で、これは4輪のブラバム・ホンダF2で確立された技術であった。このスプリングは片側がシリンリーヘッドに固定される構造のため、結果的にバネ下重量の軽減に効果を発揮して、大きく重いバルブ( シリンダ当たり2 バルブだからなおさら) のサージング限界を上げるのに有効だった。さらに、バルブはエキセントリック・シャフトを持つロッカーアッムを介して駆動されたが、このメカニズムによってDOHCエンジンのメンテナンス性は飛躍的に向上することになった。また、こうしてDOHCというメカニズムを採用することによって、初めて得られる高回転域の追従性を良くするため、CB450 にはCVキャブレターが市販車としては初めて採用されていた。
一方では、こうした最新技術とは別に、当時のホンダ製エンジンの伝統に従い、クランクシャフトのジャーナルにはニードルローラー・ベアリングが使われ、プランジャーポンプによるウェットサンプ方式のオイルラインには二重濾過方式が採用されるなど、エンジン各部の耐久性にも充分な配慮が行き届いていた。
最高出力43ps/8500rpm というパワーは、こうした世界に類をみないハイテクノロジーに裏付けされたものだった。DOHCビッグ・ツインが絞り出すリッター当たり約100 馬力というハイパワーによって、CB450 はSS1/4マイルを13秒9 で駆け抜け、トップスピードは180km/h以上をマークした。
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世界初のDOHCツインのハイパワーに対処して、CB450 のフレームにはセミ・クレードル・タイプが採用されていた。しかし、大型バイクに関する経験不足もあってか、このフレームは極限状態ではDOHCビッグ・ツインのパワーに負けて、激しくウォブルを発生することもあった。だが、当時のマニアには、こうした荒々しい性格も、CB450 の魅力として受け入れられた。
CB72以来の伝統ともいえる、黒と銀とクロームメッキでカラーコーディネイトされたCB450 は、重厚なビッグバイクといった風情をかもし出していた。また、量感あふれるデザインのタンク(16L) は、国内では「鯨タンク」、海外では「キャメルタンク」と呼ばれ、CB450 のチャームポイントとしてマニアに愛された。
自らを「オートバイの王様」と名乗ったCB450 。ホンダは当時、「初心者にはお勧めできません」という過激な宣伝コピーでマニアの好奇心を煽りたてた。だが、逆にマニアは、そんなCB450 を乗りこなすことに大きな誇りを感じていたのである。
通称、鯨タンクのK0 は年を追って改良された結果、詳細に分類すると1型〜2型があった。㈼型はフレームが小変更された他、シート、テールランプ・ステー、サイドカバーのエンブレムが異なる。㈽型では暫定的に5速ミッションが採用されている他、フラッシャー・ランプが大型化されていた。
CB450 K1 (1967 年)
自信をもって投入されたアメリカ市場でのCB450 の評価は、いまひとつだった。大排気量エンジンが発生するビッグトルクに身を任せ、ひたすらゆったりとした走りに馴れ親しんでいた当地のライダーにとって、高回転型のCB450 のDOHCエンジンは異質のものと受けとめられたのだ。さらに、なによりも直進性の甘さが、大陸ではマイナス要因となっていた。
そこで1967年、ドリームCB450 は大改装され、K1 として再デビューすることになった。K1では、圧縮比のアップにより最高出力が45psに引上げられていた他、ミッションが4 速から5 速に変更されていた。また、特徴的だった鯨タンクは、新たに「涙滴型タンク」に変更され、CB450 のイメージは一新することになった。しかし、このモデルチェンジの最大のハイライトは、25mm延長されたホイールベースにあった。このジオメトリーの見直しの結果、CB450 の直進時のスタビリティーは大幅に向上することになった。
しかし、アメリカ市場はともかく、国内のマニアにはこの変更は受入れ難かった。ホイールベースが延長されたK1 は、直進性と引換えに素直なコーナリング性能を失ってしまっていたのだ。時として過激な性格を露にする、愛すべき鯨タンクのK0 こそが、本来のCB450 だとするマニアはこんにちでも少なくない。
なおK0 のエンジンには、180 度クランクのタイプ1と360 度クランクのタイプ2があったが、K1 からは、すべてのエンジンがタイプ2に統一されることになった。
CB450 EXPO/セニア (1970年)
世界初の量産DOHCエンジンを搭載したロードスポーツとして話題を集めたCB450は、デビューから5 年を経た1970年、再び本格的なモデルチェンジを受け、ドリームCB450 EXPOとセニアが誕生した。他のCBシリーズ同様、このEXPO/セニアは、派手なカラーリングのタンクやサイドカバーが一目で分かる特徴となっていた。
フレーム関係では、キャスター角が従来の64°から62°30”に変更されて、高速走行時の安定性がさらに向上していた。また、セニアには、初めてディスクブレーキが採用されたが、これはCB750 用が流用されたものだった。一方、EXPOは2リーディングのドラムブレーキのままながら、タッチが改善され、どちらの仕様もDOHCパワーに見合った充分なストッピング・パワーを得ることになった。また細かな点だが、セニアのフェンダーは前後とも、K1、EXPOとは異なる浅目のものが装着されていた。
世界に類をみないDOHCエンジンのロードスポーツは、ディスクブレーキを装備したセニアの登場で、いっそう完成度を増すことになった。
ホンダドリームCB450 EXPO/セニア1972y
エンジン:空冷4サイクル・DOHC 2気筒 排気量:444ccボア&ストローク:70×57.8mm 圧縮比:9.0最高出力:45ps/9,000rpm 最大トルク:3.88kg-m/7,500rpm 点火方式:バッテリー 始動方式:セル、キック クラッチ:湿多 ミッション: 5速(㈰2.412 ㈪1.636 ㈫1.269 ㈬1.000 ㈭0.844 )全長:2,115/2,157全幅:775/800全高:1,090/1,150軸距:1,375地上高:140mm車両重量:175/182kgタンク容量:13.5Lキャスター:62°30′トレール:110mmタイヤ:F・3.25−18 R・3.50-18登坂力:20° 燃費:35km/L最高速度:180km /h 0 〜400:13.2秒 価格:27万3千円/29万3千円
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