CB-1 1988
スーパースポーツモデルの原点に帰って、装飾を省き、外的な要素によるコントロール性能にフレキシブルに対応するモデルとして生み出された。限界域でのパフォーマンスを追求するならば、レプリカに一存せざる終えない。が、人や状況と言った様々な条件を考慮したならば、必ずしもレプリカに誰もが満足するものとは思えない。
高性能を追求する上で、技術者としても再三壁となる問題点でもある。理論的には、車輪が回ろうとする力を利用して、マシンは自らが直進状態で安定して走ろうとする。が、コーナーを曲がろうとするライダーの意思とは逆らうこととなってしまう。逆に、コーナーリング性能を高めていくことによって、運動性はライダーにとってはシビアな方向へと向かうこととなる。
クルマの様にダウンフォースを利用してマシンの安定化を図ることが出来ないモーターサイクルでは、必然的にライダーによる積極的なコントロールが必要になってくる。アクセル、ステアリング、ブレーキ、サスペンション、タイヤ等、体や感覚といった全ての働きが、マシンの動きを決定付ける要素なのだ。これを、常に限界域でコントロールし続けることは、ただ単に疲れるだけ。楽しめるものとは言えない。
マシンには、ライダーが操られるよりは、マシンを操る楽しみが与えられた物でなければならないはずだ。こうして、CB-1には数値で表すよりも明確な答えが成されている。ブロスやスパーダと言った自社モデルばかりでなく、ネイキッドモデルはこの年、各社から生み出された。又、各社総勢たるフルラインナップの基礎が図られた時代だった。
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