YAMAHA DT1
(リード)
広大な国土を持つアメリカでは、オフロード・モデルの需要が高く、多種多用なスタイルのモーターサイクルが求められていた。エンデューロ、モトクロッサーといったオフロード・モデルに混ざって、獣道を自在に走り回るという意味の名前を冠したトレール・モデルも安定した人気を博していた。ヤマハは早くから、この潜在的なマーケットに注目していた。
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都合のよいことに、ヤマハには当時、YX26という強力なモトクロッサーがあった。名ライダー、鈴木忠男によって国内のモトクロスレースで連勝を続けていたこの工場レーサーが、この新オフロード・モデルの開発には、少なからず役立つことになった。まず、ヤマハの技術陣は、当時のトレール競技で無敵を誇っていたブルタコを購入、自社のYX26と比較テストを行うことから、開発の口火を切った。
しかし、テストでは、当面の目標に定めたブルタコの走破性のよさを思い知らされる結果となった。モトクローサーとトレール車の用途を考えれば、この結果は当然のことといえた。ヤマハは、こうした比較テストの過程で、トレール・モデルのなんたるかを、短期間に学習したのだった。その結果、ヤマハの技術陣が目指すトレール・モデルのイメージは、順調に具体化してくことになった。
完成したトレール・モデルはまず、1967年の東京モーターショーに展示され、会場の話題を独り占めすることになった。パールホワイトのタンクと赤く塗られたダブル・クレードルフレームの対比も鮮やかな『トレールDT1』は、それまで国内では目にしたことのないような、本格的なオフロード用モーターサイクルだった。
当然、ショーの会場を埋め尽くしたマニアの熱い視線は、DT1に釘付けにされることになった。DT1は、翌年の3月に発売が開始されると、いっきに爆発的な人気を博した。それまで、ロードスポーツや実用モデルを改造してお茶を濁してきたオフローダー達が、先を争うようにしてDT1に飛びついたのだった。
そして、ついには、トライアルの神様と呼ばれたブルタコの契約ライダー、サミー・ミラーまでもが、DT1を絶賛したのだった。自身のマシンと乗り比べたミラーは、DT1のエンジンのトルクバンドの広さに驚きの表情を隠せなかった、といわれている。同じ5段ミッションを持つ両車を比較すると、トルク特性の差は一目瞭然だった。DT1の2サイクル空冷単気筒の250㏄エンジンは、ヤマハ得意の5ポート・ピストンパルブで18.5ps/6000rpmのパワーと、2.32㎏m/5000rpmのトルクを発生していた。とくに、低中速域のトルクは厚く、広いパワーバンドと回転の滑らかさは、特筆に値した。クラスとしては大きめの30㎜径のキャブレターを採用した単気筒エンジンは、シャープな吹け上がりに加えて、抜群の粘り強さを発揮していたのだ。その上、燃費の面でも優れたこの2サイクル単気筒エンジンこそが、DT1の成功の鍵を握っていた、といってもけっしてオーバーではなかった。
DT1のデビューによって、我が国でも、オフロード走行を楽しむマニアが急増した。DT1の登場よって、林道ツーリングがちょっとしたブームとなったほどだった。それまでは、一部マニアに独占されていたオフロードの世界が、いっきに身近なものになったのである。トップスピードが120㎞/hに達し、0~400mを18秒で駆け抜けたDT1は、パワフルでフレキシブルなエンジン特性ゆえに、舗装路、ダートを問わず、誰にでも乗り易いストリートスクランブラー的な素質も合わせ持っていた。DT1は国内の一般的なライダー達に、オフロード走行という、まったく新しい楽しみを紹介したのである。そうした意味では、DT1はエポックメーキングなモデルであった。また一方では、DT1をモトクロッサーのベースとしてとらえたマニアも少なくなかった。彼らにとっては、112㎏という車重は、なににも増して魅力的に映った。重い改造モトクロッサーは、DT1の登場を境に、完全にモトクロス・コースから駆逐されることになったのである。
メーカー・サイドもこうした用途を開発段階から考慮して、はやくからDT1にスポーツキットを用意していた。ピストン、シリンダー及びシリンダーヘッド、キャブレター、エキスパンションチャンバーなどを組み込んだDT1は、最高出力が30馬力にも達していたのである。こうしたマニアにとってDT1は、あの工場レーサー、YX26の再来であった。DT1は、その優れたデザインが認められて、通産省が主催する1968年度のグッドデザイン賞を獲得した。そして、その後に続くライバル達に多大な影響をあたえることになった。自らも1969年には125㏄クラスのAT1を、1970年には90㏄のHT1、175㏄のCT1、350㏄のRT 1、と多くのバリエーション・モデルを派生して、オフロードの王者として君臨したのである。この時期、DT1によってオフロードの素晴らしさを知ったマニアは少なくない。そうしたマニア達の多くは敬愛の情をこめて、DT1を“白い駿馬”と呼んだ。
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