T500 1968

T500

(リード)

T20でアメリカ市場に参入以降、USスズキでは、トレール・モデルが好調に売れ行きを伸ばしていた。しかし、一方では大排気量モデルの需要が、確実に高まりつつあった。国内メーカーも、ホンダがCB450 、カワサキがW1といった具合に、大型モーターサイクルの生産を開始、アメリカ市場の大型モーターサイクル・ブームはいっきに加速されることになった。


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 こうした市場のニーズをはやくから察知していたUSスズキでは、繰り返し、大排気量車の必要性を本社サイドに訴えていた。しかし、2サイクル・メーカーを自認するスズキにとって、大型モーターサイクルの開発は、多くの難問をはらんでいた。というのも、一般には当時、2サイクルは350㏄が限界と信じられていたのである。

 吸入行程で混合気の気化熱による冷却が期待できない2サイクルの場合、大排気量化はすなわち、シリンダー温度の上昇を意味していたのだ。過去には、ツンダップやエムロといったメーカーから、数例の500㏄の2サイクル・エンジンが発表されたことはあった。しかし、そのどれもが熱の問題をクリアできずに開発半ばにして挫折していた。しかし、スズキはあえて、500㏄2サイクル・ツインの開発を決断した。これは、2サイクルのトップメーカー、スズキのプライドをかけた挑戦だった。

 設立間もない技術センターの2輪設計室では、若手の技術者たちが中心となって、未知の領域への挑戦を開始していた。だが、未曾有の大型2サイクル・エンジンの設計では、当然のごとく多くの壁に直面することになった。問題はやはり、シリンダー内のクーリングにあった。エンジンの異常振動、スリーブの引っ掻き傷など、シリンダー温度の上昇にともなう様々なトラブルが発生して、技術陣を悩ませた。しかし、こうしたトラブルの原因は、若手スタッフの懸命な努力によって、ひとつひとつ根気よく克服されていったのである。

 ようやく試作エンジンが完成すると、500㏄2サイクル・ツインは動力計にかけられ、目標馬力がクリアされた時点で走行テストが開始された。テストは機密保持のために深夜から早朝にかけて、行われたといわれる。そしてある日、未明の竜洋テストコースで、目標とされた180㎞/hオーバーの最高速度が達成されたのだ。

 1967年になると、試作モデルはアメリカ大陸に運ばれて、ネバダ砂漠の過酷な気象条件のもとで最終的なテストが実施され、万全を期して市販へと移されることになったのだった。1967年のモーターショーは、期せずして2サイクルの大型ロードスポーツの発表ラッシュに沸くことになった。このショーで、スズキの新500㏄ロードスポーツ、『T500』もマニアの前に公開された。同じショー会場では、ヤマハ、カワサキ、ブリヂストンからも350㏄モデルが、同時に発表されることになった。

 これらのモデルはどれをとっても、それぞれに個性に富み、魅力にあふれていた。だが、スズキのT500の前では影が薄れがちだった。それほど、500㏄という排気量はインパクトが強かったのである。前作のT20の技術を、T500は多くの部分で受け継いでいた。一挙に排気量が倍になったとはいえ、技術的には極めてオーソドックスな成り立ちだった。話題の中心となった大型2サイクル・ツインにしても、47ps/6500rpmという最高出力は、軒並みリッター100馬力を達成していた他の350㏄エンジンに比べれば、驚くほどのハイパワーとはいえなかった。とはいっても、ピストンバルブを装備した500㏄のエンジンは、そのキャパシティの大きさで、見るものを圧倒した。

 T500のエンジンは当然、スズキが誇るCCIを採用していた。いや、CCIなくしては存在しなかったかも知れない500㏄2サイクル・ツインは、クランクケース右後方に設置されたオイルポンプからクランクシャフトの両端部へオイルを圧送していた。この強制給油潤滑システムによって、T500の信頼性は、はじめて確保されることになったのだ。

 ゴム製インシュレーターを介して装着されるキャブレターは、T20と同じ同圧型が採用されていたが、出力特性はT20に比べて穏やかになっていた。フレーム・ワークもT20タイプのダブルクレードルを補強したもので、いったん走り始めれば193㎏の車重を意識させない軽快な操縦性を発揮した。また、ブレーキには、Wパネル・ツーリーディング(前200㎜、後ろ180㎜)という凝ったものを採用していて、安定した制動力もT500の大きな魅力となっていた。

 T20から一挙に倍の排気量を得たT500からは、もはやピーキーとか神経質といった形容詞は消えることになった。T500はトップスピードの180㎞/hまでパワフルに、しかも穏やかに加速したのである。こうした特性はアメリカ市場でも好評をもって迎えられた。上質なクロームメッキをふんだんに施し、ゴールドメタリックの塗装にバックスキンのシートという派手な出で立ちのT500は、アメリカ人の好みを意識してデザインが決定されていた。こうしたスズキの目論見どおり、T500はアメリカ市場という巨大マーケットに受け入れられたのだ。また、ロードレーサーに改造されたTR500タイタンのデイトナでの活躍も、T 500のアメリカでの人気に拍車をかけることになった。

風倶楽部

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