MEGURO STORY その3.

メグロ最後の勇姿…メグロ・スタミナK1(2〜X650)

 重量級モ−タ−サイクル・メ−カ−、メグロのイメ−ジをリ−ドしてきたZ7型にまで発展して、異例のロングライフ・モデルとなっていた。そしてその間、1955年には650ccクラス初のバ−チカル・ツインエンジンを搭載したセニアTI型をラインナップに加えて目黒製作所の大型クラスはいっそう充実していった。しかし、続々と登場する後発メ−カ−のモ−タ−サイクル群の高性能化の前に、メグロの威信には、次第に陰りが見えはじめてきたのである。31.5馬力を誇ったTI型でさえ最高速度は130km/h 、これではメグロの象徴ともいえる白バイの大役は果たせなくなってしまっていた。そこで目黒製作所は、戦前の設計を踏襲してきたZシリ−ズに見切りをつけて、新たな重量級モ−タ−サイクルの開発を急ぐことになったのである。

 そして1960年の東京モ−タ−ショ−で発表されたのが、497cc のOHV並列2気筒エンジンを搭載した“スタミナK1型”だった。同じバ−チカル・ツインといってもK1型に搭載されたエンジンはT1型とは別物で、T1型がトライアンフをモデルにしていたのに対して、K1型のエンジンはBSAシュ−ティングスタ−を模範としていた。いや、実際には、66.0×72.mm のボア・ストロ- クからシリンダ−に切られたフィンの数までそっくりで、外観からはBSAと判別できないほど両車のエンジンは酷似したものだった。そのため、フルコピ−に対する批判もあったようだが、そこは高品質を社是とする目黒製作所のこと、細部を注意深く観察すれば、K1型のオリジナリティ−は随所に見ることができた。BSAのエンジンが6ボルトのマグネト−点火であったのに対して、K1型はバッテリ−点火を採用していた点などはその最たる部分で、さらに圧縮比を上げることによって、K1型は本家の32.4馬力を凌ぐ33馬力を発生していた。また、クラッチはBSAの乾式多板タイプに対して、K1型では湿式多板タイプが採用されるなど、その他の改良点も散見することができた。

 また、車体関係も大幅に見直され、メグロ伝統のル−プフレ−ムを踏襲しながらも、計量化がはかられ、K1型の車重は先代のZ7型の210kg を遙に下回る190kgに収まっていた。当時の国内の道路事情を考えれば、この軽量化は称賛に値するもので、こうした努力が功を奏して、K1型の最高速度はいっきに155km/に向上、目標のひとつであった白バイとしての機能も充分に果たせることになったのである。

しかし、目黒製作所の期待を一身に担ったK1型ではあったが、生産は順調とは言いがたかった。先ず、K1型の完成直後に、工場が火災に見舞われ、生産ラインが焼失したのを手始めに、創始者の死去にともなって労働争議が一挙に表面化したのである。こうしたダブルパンチによって、経営難に喘いでいた目黒製作所は、更に窮地に追い込まれることになった。そして、1960年11月、目黒製作所はついに、川崎航空機と業務提携を結ぶ事になり、その後は急速にカワサキ色を強めることになった。

 だが、こうした経営側の事情とは別に、最期の純メグロ製の重量級モ−タ−サイクルともいえるK1型は、かろうじて生産されることになった。とはいっても、この生産はいわば警視庁向け(K1P)といえるもので、細々と生産されることになったK1型は、純白の塗装が施されて、優先的に警視庁に振り分けられた。そのため、K1型の一般市場への投入は遅々として進まなかった。また、K1型とともにモ−タ−ショ−で脚光をあびたスポ−ツタイプのKS型は、カタログまで製作されながら、こうした諸般の事情によって、計画そのものにピリオドが打たれることになったのだった。

 その後、目黒製作所の経営はさらに悪化の一途をたどることになる。1961年8月には、川崎航空機が目黒製作所を吸収合併するかたちで新たにカワサキ・メグロ製作所が発足、メグロの開発拠点も、カワサキに統合されることになった。

 K1型の発展モデル、K2型の開発は、こうした目黒製作所からの移転組の技術者によって、川崎航空機の明石工場内で推進されることになった。K2型の2気筒エンジンは、弱点とされたクランクシャフト及びクランクケ−スをはじめ、シリンダ−回りなど、徹底的に改良の手が加えられることになった。その結果、外観こそ近似性がみられたものの、K1型とはまったく別物のエンジンが完成したのである。こうした改良によって、全長が20mm短縮されたK2型の最高速度は165km/にまでアップ、来るべき高速道路時代にも充分に対処できる高性能モ−タ−サイクルが誕生することになった。旧メグロの技術スタッフが丹精こめて熟成したK2型は、1964年に発表されて、翌65から市販が開始された。

 一方、目黒時代の集大成ともいえるK2型を完成させた旧メグロの技術陣は、休む間もなく次期重量級モ−タ−サイクルの試作を開始、1965年のモ−タ−ショ−には早くも、国産最大排気量を誇るカワサキX650 がデビュ−を果たした。このX650 は基本的にはK2型のボアアップ・バ−ジョンともいえる成り立ちのエンジンを搭載していたが、47馬力という飛躍的な高出力化に対処して、クランクシャフト回りのジャ−ナル部にはボ−ル/ニ−ドルロ−ラ−・ベアリングが採用されるなど、ここにも目黒製作所時代からの過剰気味といわれたほどの高品質の伝統が継承されていた。X650 はショ−の翌年には、アメリカ大陸を舞台に発売が開始され、カワサキ650W1は、海外市場でも高い評価を得ることになったのである。

風倶楽部

バイク全般のヒストリーが中心となります。バイク好きの人たちが気軽に閲覧できるようにオープンな状態を保っていきたいと願っています。アメブロに掲載してきた記事が多くはなりますが、補足を加えていきます。

0コメント

  • 1000 / 1000