KAWASAKI 250 MEGURO SGT

KAWASAKI 250メグロSGT 

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最後発メーカーとしてモーターサイクルの生産に加わったカワサキは当初、川崎航空機の社名で多くの中小メーカーにエンジンを供給していた。その後、自ら完成車を製作するようになった川崎航空機は後発メーカーゆえに、車種構成も充分とはいえず、販売網の面でも先行するライバル各社に遅れをとることになった。

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 そこで、営業面の強化策として急浮上したのが、伝統ある目黒製作所との提携案であった。1960年11月に締結されることになったこの業務提携は、業務内容が悪化していたメグロを川崎航空機が援助する形で取り決められたもので、テコ入れのために役員3名がメグロ側に送り込まれた。この提携によって、川崎航空機が50~125㏄まで、メグロがそれ以上の排気量のモデルを生産することになり、50㏄がカワサキペットM5、125㏄がカワサキB7、175㏄がメグロ・レンジャーDA、250㏄がメグロ・ジュニアS7、そして500㏄がメグロ・スタミナK1といった具合に、一挙に50~500㏄までのクラスの強力なフルラインナップが完成することになった。また、販売面でも、メグロの販売店が活用されることになって、この面での強化策も、いちおう目的は達成されることになった。

 一方では、1961年5月30日に、カワサキ側の販売面を受け持っていた川崎明発工業が社名変更されて、新たにカワサキ自動車販売(カワサキ自販) が発足、いっそう販売網が強化された。モーターサイクルの製造に専念することになった目黒製作所はこの間に、創業の地である東京の品川区大崎本町にあった東京工場を離れ、横浜市港北区綱島の横浜工場に生産の拠点を移転していた。この新工場には、栃木県の烏山工場で生産されたエンジン/ミッションが搬入され、メグロ・ブランドのモーターサイクルの生産が続行された。この工場を拠点として、新たに125㏄のキャデットを加えたメグロ各車が市場に送り出されることになったのである。

 だが、時代遅れのイメージが定着してしまっていたメグロの退潮ムードは致命的な状況に達していて、業務内容は悪化の一途をたどっていた。そのため、1963年になると目黒製作所の3億円だった資本金は、半分の1億5千万円とされ、さらに、その半分を川崎航空機が所有することになった。その結果、伝統ある目黒製作所はカワサキ傘下に編入されることになり、社名はカワサキ・メグロ製作所に変更された。その後、カワサキ・メグロ製作所は、次第に規模を縮小して、最終的には川崎航空機の明石工場に吸収される運命をたどった。

 それでも、このカワサキ・メグロ製作所からは、ジュニアS8、アーガスJ8(S8のボアアップ版で288㏄エンジン搭載) といったニュー・モデルが登場している。さらに、1963年のモーターショーには、従来のメグロのイメージを払拭した、モダンなスタイルの250㏄クラスのロードスポーツがデビューを果たした。『カワサキ250メグロSGT』と呼ばれたこのロードスポーツは、ジュニアS8の後継モデルで、英国車風のデザインがマニアの注目を集めることになった。

その車名のからも分かるように、SGTはSシリーズのグランツーリスモ、すなわち長距離ツーリング・モデルと位置づけられていた。SGTの4サイクル単気筒OHVエンジンは、形式こそ従来と同じだったが、まったくの新設計だった。66×72.6㎜というメグロ伝統のロングストロークを踏襲しながらも、排気量248㏄の単気筒エンジンは、最高出力の18馬力を7000rpmで発生するという、比較的高回転型に変身していたのだ。一体式のクランクケース中にコンパクトなセルモーターを内蔵したSGTのエンジンには、また、前方に突き出す形で取りつけられたオイルフィルター・ケースにフィンを切ってオイルクーラーの役目も兼ねさせるなど、オリジナリティ溢れるアイデアが盛り込まれていた。

 ちなみにSGTは、メグロとしては初のセルモーター装着車であった。また、こうした時代にそくした改良点は、ブレーキ・ペダルの位置にも見て取れた。それまでのメグロ車は、伝統的に左ブレーキ仕様を守り通してきたが、ついにSGTに至って、大勢を占める右ブレーキが採用されたのである。この変更は、50年代から続いたブレーキペダルの位置を巡る論争に、決着をつけることになった。

 メグロは伝統を棄て、近代的な2輪メーカーへと脱皮をはかったのだ。しかし、こうした方向転換は同時に、伝統を誇ったメグロの個性を失わせることにもなったのである。SGTが発売された翌1966年には、カワサキから31馬力を誇る2サイクル・クウォーターが発売された。このA1と名付けられた高性能スーパースポーツの登場によって、皮肉にも、期せずして競合クラスに属することになったSGTの存在理由は消滅したのである。その結果、わずか1年でSGTの生産は終了することになったのだ。戦前からの名門メーカー、メグロは、悲運のロードスポーツと運命をともにするように、その輝かしい歴史にピリオドを打つことになったのである。

風倶楽部

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