250 A1 1966.08

250 A1 

(リード)

これは2輪業界に限ったことではないが、資本主義社会に於いてアメリカという巨大マーケットは、限り無い可能性を秘めている。近年、その衰退ぶりが懸念されてはいるが、依然としてアメリカは、世界最大の消費マーケットであることにかわりはない。まして、そのアメリカが富を謳歌していた1960年代には、我が国に限らず、英国、西ドイツといった主要な2輪生産国は例外なく、アメリカ人の要求に合わせて、ニューモデルを開発していた。1960年代前半に日本国中を巻き込んだ250㏄ロードスポーツのブームも、元をただせばアメリカ市場のニーズに端を発していたのである。


(本文)

 後発メーカーとして2輪業界に参入したカワサキも、例外にもれず、アメリカ市場を睨んだ商品開発を行うことになった。その結果、対米輸出モデルの先兵として、250㏄のロードスポーツが選ばれたのは、当然の成り行きといえた。1960年以来、川崎明発工業から受け継いだ2サイクルの小型実用モデルを主体に生産を続けてきたカワサキにとって、本格的なモーターサイクル・メーカーへ飛翔するためには、アメリカ市場が望む250㏄クラスのロードスポーツの開発が必要不可欠だったのである。

 対米戦略モデルとして、250㏄クラスの計画がスタートしたのは1965年のことだった。当時すでに、アメリカ市場での小型モーターサイクルのシェアは、国産メーカーによって独占されていた。そこで、カワサキのエンジニアは、CB72、YDS、T20といった国内のライバル車をターゲットに、スポーツ・モデルの開発を行うことになった。

 最後発メーカーとしてアメリカ市場を狙うカワサキとしては、こうした国産のクウォーター・ロードスポーツ群を凌ぐ性能を確保することが、第一目標とされた。当時のカワサキには、ひとつの技術的な切り札があった。GPレーサーで好成績をあげていた、ツインロータリーバルブ方式の導入である。このカワサキの目論見は見事に的中した。カワサキの250㏄2サイクル・ツインは、実に31馬力を絞り出すことに成功したのである。

 スポーツモデルとしては珍しく、53×56㎜というロングストローク・タイプに設定されたこのエンジンは、キャスト・イン・ボンドと呼ばれた最新テクノロジーを用いて設計/製作されたアルミシリンダー・ブロックに鋳鉄ライナーを鋳こんだ新開発のシリンダーを採用したことによって、熱対策も万全に施されていた。また、カワサキ自身がスーパールブと呼んだ分離給油システムが採用されたことにより、現地のハイウェイを舞台とした高速走行テストでも、抜群の耐久性を発揮したのである。

 一方、フレームに関してもレーサーで実績のあるダブルクレードル・タイプが新設計されたが、こうした開発過程では、カワサキ初の工場レーサー、KACスペシャルの開発作業で得た経験が大いに役立つことになった、といわれている。

 1966年6月、カワサキが全力を投入した新ロードスポーツ『250A1』が“サムライ”と命名されてアメリカでデビューを果たし、ニューヨーク・ショーを皮切りに全米各地の展示会でマニアの注目を集めることになった。ここで、A1の最高速は165㎞/h、SS1/4マイルは15.1秒という基本スペックが発表されたが、この数値は当時の250㏄クラスの常識を遙かに凌ぐものだった。実際に、A1はストックのままレースに参加しても、大排気量のハーレーやBSAよりも速かった、といわれている。

 また、ココナッツ型と呼ばれたタンクは、当時の流行に従ってツートンカラーに塗り分けられ、随所に多用されたクロームメッキとの対比が、アメリカ人好みの華やいだムードをA1に与えていた。アメリカで大成功を収めたA1は、同年8月から、国内販売を開始した。当時、クラス最速といわれたT20を軽く凌駕したA1は、国内でも好評をもって迎えられた。ただひとつ、国内向けのアップハンドルだけは、不評を買うことになった。たしかに、この部分が全体のバランスを崩していたが、カワサキは頑なにアップハンドル仕様を供給し続けた。そのため、腕に自信のあるマニアは、密かに輸出仕様に改造して、A1の高性能を楽しんだ。こうしたマニアにとって、A1のクロスレシオの5段ミッションは、たいへんに魅力的に映ったものだ。頻繁にシフトチェンジを繰り返して、エンジンを7500回転付近で使い切れれば、A1は期待通り250㏄クラスとは思えないほどのハイパフォーマンスを発揮した。

 飛行機屋のつくったロードスポーツは、軽量化も徹底していて、145㎏と軽量に仕上がっていたA 1は、途方もないじゃじゃ馬ぶりを発揮したのである。反面、ロータリーバルブの特性で、A1はトップギアで40㎞/h走行という芸当も披露した。さすがに、そこからの加速は受け付けなかったものの、全開時の250㏄というクラスを超越した高性能ぶりを体験したマニアにとって、A1のフレキシビリティーはちょっとした驚きだった。月産500台のペースで量産されたA1は、内400台が輸出に回された。このA1のデビューによって、カワサキのイメージは全世界的に一新されることになったのである。

風倶楽部

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