■海外市場に活路をもとめて

■海外市場に活路をもとめて

昭和28年、朝鮮動乱が停戦すると、国内の特需景気は急速に下降線をたどった。国内経済は深刻な不況に陥り、2輪業界もその直撃をうけた。ホンダはこの時期、海外の市場に活路を見出そうと考えた。だが、そうした決断は同時に、自社製品の輸出競争力を問うことにもなった。それまで、外国車の模倣が主体だった国産車は、一転して、手本としてきた欧米のオートバイを凌ぐ製品を開発することが、急務となったわけである。こうした試練を前に、宗一郎は、レース活動こそが技術力向上の近道と考えた。また、結果が最優先されるレースの世界は、自社の技術力をアピールする場としても相応しかった。

有名な“TTレース出場宣言”は、こうした事情を背景に、昭和29年 3月20日に宗一郎自らによって発表された。この宣言をうけて、ホンダのレース活動がスタートした。だが、実際にホンダの工場レーサーがマン島に姿を現すまでには、その後、5年という歳月を要した。当時の欧米と日本では、それほど歴然とした技術力の差があったのである。

RCの形式名称を冠したホンダの工場レーサーが、宿願のマン島にトレッドマークを刻んだのは、昭和34年のことだった。以来、ホンダは積極的にGPレースに参戦して、自らの技術力に磨きをかけていった。そして、ホンダのRC系レーサーは、次第にGPレースの主導権を握るようになっていったのだ。連勝街道を驀進したマルチ・シリンダーのホンダ製レーシング・エンジンは、その精密さゆえに、時計にたとえられて絶賛された。

そして、昭和37年にはついに、ホンダはGPレースの全クラス、5種目完全制覇の偉業を達成したのである。こうした頂点に位置するレースでの活躍により、極東のオートバイ・メーカー、HONDAの5文字は全世界に知れわたったのである。

■巨大マーケットの開拓

GPレーサーの開発と並行して、国際的な競争力を持った量産車の準備も、意欲的に行われていた。“世界に類をみない250ccクラスのオートバイ”を目指して開発が進められた新ドリームは、「ドリームC70型」と命名されて昭和32年に発表された。このオートバイは、ホンダ初の並列2気筒エンジンを搭載していた。また、スタイル的にも、日本の伝統美が表現されていた。

翌33年になると、今度は125ccクラスにも並列2気筒エンジンを特徴とした「ベンリイC90型」がデビューを飾った。こうした2気筒モデルはその後、セルモーターが標準装備されて、誰でも乗れる高性能車として絶大な人気を博すことになった。ホンダのオートバイはこの時期、国際化の時代を迎えようとしていたのである。

自社の生産するオートバイに自信を持ったホンダは、昭和34年には巨大マーケットのアメリカに現地法人“アメリカ・ホンダモーター”を設立、北米市場に橋頭堡を築いた。このアメリカ市場で、ホンダの名前を一躍ポピュラーにしたのが“ナイセスト・ピープル・キャンペーン”だった。それまで、どちらかといえば4輪社会だったアメリカに、誰でも乗れるオートバイとして登場した「スーパーカブC100」は、まったく新しい種類の乗り物として受け入れられたのだ。それまではアウトローの乗り物といったイメージのオートバイが、このキャンペーンで市民権を得たのである。アメリカ・ホンダによって開拓された巨大市場によって、ホンダは世界のトップメーカーとしての地位を確立することになったのだ。


■スーパースポーツCBシリーズの登場

昭和34年5月に、CBの名を持つ初の125ccのスポーツ・モデル、「ベンリースーパースポーツCB92」が発売された。この通称“ベンスパ”の出現によって、我が国はロードスポーツ時代を迎えることになった。一方、仕様変更のために市販が遅れていたた250ccクラスも、昭和60年の自動車ショーでデビューを果たした。「ドリームスーパースポーツCB72」と紹介されたオートバイは、ホンダ初のパイプ製バックボーンフレームを持つ本格的なロードスポーツだった。相次いで登場したこれらの2気筒スポーツ・モデルは、レースでの活躍もあって大人気を博し、たちまち若者の羨望の的となった。CBシリーズはその後、数多くの魅力的なモデルを生み出して、我が国のロードスポーツのスタンダードとして君臨することになったのである。

ホンダは既に、トップ・メーカーの座を不動のものにしていた。しかし、大排気量を持たないために、アメリカ市場では苦戦することになった。そこで、世界最速の市販車を目指して開発されたのが「ドリームCB450」だった。しかし、このホンダ初の大型ロードスポーツは、特にアメリカ市場では成功作とはならなかった。高回転で高出力というホンダ流エンジンが、アメリカ人の好みに合わなかったのである。

  そこで“ゆとりのあるビッグバイク”として開発されることになったのが並列4気筒エンジンのモンスター、「ドリームCB750」だった。この前代未聞のビッグバイクは、発売されると大反響を巻き起こした。そして、世界各地では、空前の“ナナハン”ブームが吹き荒れることになったのである。このCB750 の登場によって、ホンダは、名実ともに世界一のオートバイ・メーカーの座を手中にしたのである。

風倶楽部

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