HONDA ホンダRC160 1959

HONDA ホンダRC160 (1959y)

ホンダが、ヨーロッパの伝統と文化を兼ね備えたとも言えるモーターサイクルレースに興味を示していたのは言うまでもない。国内レースの将来の展望を見据えながらも、技術の向上を図るには世界的な視野に立って事を望べきものと信じていた。RC160 の開発は、初のマン島TTレースに向けて急ピッチで進められていた。パワーユニットは4 気筒。RC141(125cc)の2 気筒と同じく、ベベルギアを用いてバーチカルシャフトを駆動。カムを直接的に作動させている。ボア・ストロークのサイズ(44mm ×41mm) もRC141 と同寸。但しバルブはRC141 の2 バルブに対し4 バルブを採用していた。当初は、半球型(2バルブ) の燃焼室を持っていたがルーフ型に変更する等、ぎこちない部分もあった。キャブレターも、ピストンバルブ・ベンチュリー径φ21mmのオーソドックスなもので、フラットバルブの採用は翌年のRC161 からとなっている。開発中の変更や思わぬ改良が生じた為に、マン島TTへの出場が危うくなる。と、急遽国内最大のレースイベント「第三回浅間火山レース」最期のアサマに向けて対策が施される。マン島TTレースから帰国したばかりのライダーも慌ただしく準備を始めた。RC141 と較べ重量的にもハンデのあるマシンを、アサマの火山灰の上でコントロールすることには苦労したようだ。押し掛けの練習に日々を費やしたと言う。8 月23日決勝、軽量の2 サイクル勢にスタートで出遅れながらも、直線では先行するライバル車達の乱したラインからは外し、深々としながらも路面のフラットな所を選んで勇敢に攻め続けた。16周(149.16km)のレースが終了すると、RC160 は1 位~5 位までを独占する快挙を成し遂げていたのだ。初のマン島TTレースを疾走するチャンスを失ったRC160 。だが、そのウップンを晴らすかの様に、国内でその力の違いを見せつけ、翌年からホンダはハッキリと世界を見据えて活動を開始した。

風倶楽部

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