VALKYRIE 1996

VALKYRIE 1996y

 日本製アメリカンバイクは、善きにつけ悪きにつけ、ハーレーの影に影響され続けているといえよう。これはもちろん無理からぬことである。なにせハーレーは現存する最強の本場製バイクであるし、歴史や文化、デザイン、乗り味、どれをとってもアメリカンの頂点と呼ぶにふさわしいバイクだからだ。というより、アメリカンバイクとはハーレーが基本となるバイクのことであり、ハーレーの味わいこそがアメリカンなのかもしれない。

 こうなると、日本車は不利だ。なぜなら彼らはハーレーではないからだ。いくら良質のアメリカンを作ろうが、販売台数的に大ヒットを飛ばそうが、それはあくまで亜流に過ぎないことになる。それも、本格的になればなるほど亜流の色は濃くなってしまう。

 この袋小路から脱出するための方法はただひとつ、ハーレーとは異なったコンストラクション、価値観のバイクをアメリカンとして定着させることである。そして、ワルキューレはそんな主張が込められたバイクなのだ。

 ワルキューレのエンジンは、ハーレーのVツインとはまったく異なる、水平対向6気筒。基本になっているのは大陸ツアラーGL1500のエンジンで、各部のパーツやセッティング変更により、よりアメリカンらしい特性と、高級感あふれるルックスに仕立てられている。もちろん、ここでいうところのアメリカンらしさとは、ワルキューレが提唱するニューアメリカンの姿であり、他に類を見ない独自の乗り味であるのは当然だ。最高出力100ps、最大トルク13.5kgと、オーソドックスなカタログスペックからは、この乗り味は決して読み取ることができない。

 GL1500もそうだが、水平対向6気筒エンジンの味は、乗れば誰もが驚いてしまうほど新鮮だ。アメリカンでは常識となっているビッグVツインとは、なにからなにまでがまったく異なっており、比較するなど無意味。ビート感や振動、歯切れなどとはまったく無縁だとばかり、空気のような手ごたえとともに、巨大なボディをスーッといつの間にか加速させてしまう。いくら回転を上げようが、いくらスロットルを開けようがお構いなし。まるで、機械ではなく気で動かしているようなタッチなのだ。左右1本ずつにまとめられ、後端がスパっとつぼめられたマフラーからの排気音も、あくまで低くジェントル。古い意味でのエンジンの存在感というものは皆無に近いが、それがかえってエンジンの魅力を際立たせる、という、なんとも形容しがたい快感がある。

 スタイリング面を見ても、ハーレーとはまったく方向性が異なる仕上り。1、690mmという長大なホイールベース、300kgを越える乾燥重量。徹底したワイド&ローではあるのだが、各パーツが水平基調に組合わせられ、日本的な詫び寂びの香り、間と溜めのたたずまいも感じられる。しかしそれは、不思議なことに、誰が見てもアメリカンドラッグの典型なのだ。

 巨体に似合わずハンドリングはいたって素直で、すり抜けが不可能なことを除けば、都会の渋滞路でもわけなくこなしてしまう扱いやすさを見せるし、なにがあってもよろめかないほどの安定感も兼ね備えている。ブレーキやクラッチなど、操作系もホンダらしく軽い(もちろん、車格から考えれば、ということだが)し、気になる癖はまったくないほど洗練されている。さすがに俊敏とか軽快などと表現することはできないが、ほんのわずかでも動き始めた瞬間から、いかようにも御することができそうな安心感に包まれる。

 まったく新しい時代のアメリカンを表現しよう、というホンダの提案は、たしかに見事に実を結んでいる。そしてそれは、ハーレーの呪縛から解き放たれたことを意味する。そんなバイクがワルキューレなのだ。

風倶楽部

バイク全般のヒストリーが中心となります。バイク好きの人たちが気軽に閲覧できるようにオープンな状態を保っていきたいと願っています。アメブロに掲載してきた記事が多くはなりますが、補足を加えていきます。

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