KAWASAKI 900 Super4 Z1 1972

KAWASAKI 900 Super4 Z1 1972y 

(リード)

戦前からのビッグネーム「メグロ」との技術提携がそうであったように、カワサキには大いなる野望があった。航空機メーカーとしても重工業の分野でも、トップブランドとしての宿命を背負ってモーターサイクルの業界に参入してきていた。2サイクルを自社ブランドで生産するも、4サイクルの技術に関しては、一目置く「メグロ」にその運命を預けたのだった。


(本文)

 軽快性で勝る軽二輪の需要は、戦後の日本の経済を底辺で支えてきていた。やがて社会が落ち着きを見せ始めた頃、モーターバイクにはスポーツ性が求められ始めていた。スピードやパワーは当然のことのように、企業における営業成績に影響を及ぼすこととして、技術目標の数値は次第に高められていった。レースイベントが、そうした企業の技術的な向上を図る上での重要性と、一般のユーザーへのアピール性を必要視されて人気を高めていく。「メグロ」からの財産を巧みにW1に応用したカワサキは、当初の課題となるスポーツ性を2サイクルでアピールすることを選択した。軽量さとハイパワーの兼ね合いには、確かに2サイクルが優位ではあった。

 世界グランプリで「ホンダ」が見せた4サイクルの多気筒化への生き残りに賭けた執念を見過ごしてはいなかった。が、スピードコントロールにおける絶対的な限界域では、軽量差に負うところが多く、「マッハ」は、当に的を得た矢のようにユーザーのハートを射抜いてしまったのだった。しかし、モーターサイクルを生活の一部として古くから取り入れているヨーロッパーでは、伝統を覆すような出来事には消極的な考えを持っていた。決してジェントルな出力特性とは言い難い「マッハ」に対して、否定的な意見も一部にはあった。それは、アメリカ市場においても同様で、4サイクルのビッグバイクの導入を早急に検討することとなったのである。

 1967年に設計を開始されたエンジンは、一年後の1968年3月にはベンチ・テストにかけられていた。それは、750ccで70~75hp/9,000rpmを発生するまでに至っており、開発期間だけをみればすべてに順調な展開でもあった。そしてこの年の10月、「東京モーターサイクル」会場でホンダが放ったセンセーショナルなモデルがカワサキ陣営を震撼させた。CB 750fourは、GPを撤退したホンダの放った栄光のマシンの再現でもあったかのようだった。カワサキ陣営にとって急遽方針を変更せざるを得なかった理由は、最高速・加速性共に世界最高のものを・・とした基本方針を、再認識する事だった。例え、DOHCが燦然として飾られていようと、より明らかなデーターが示されない限り、ユーザーは選択を強いられるだけであって、優越感を満たすだけの物とはならない・・と判断されてのことだ。

 1972年、量産開始の指示が正式に発せられた。回り道をしながらも堂々とした風格で現れた「Z1」は、ユッタリとした面持ちの中にも、パワフルな印象を躍動感とともに漂わせていた。カタログ・データーでは、0→400mを12秒フラット、最高速度は200km/hと記されていた。が、ノーマルのままでも200km/hオーバーが確実であることを誰もが予測してもいた。 

 10,000rpm辺りまでを使い切るならば、1速で62.5mph(100km/h)、2速で80mph(128km/h)、3速で100mph(160km/h)、4速で110mph(176km/h)、5速で120mph(192km/h)が得られる。高速でのハンドリイングは絶妙で、高めにセットアップされたハンドルに加重を掛けてのコーナリングは、Z乗りの独特のフォームを生みだして注目をひいたものだった。

 ブレーキは、フロント左に296mmのローターを標準で与え、右ロアフォークにはセカンドディスク用のキャリパーのブラケットも用意されていた。フレームは、「マッハ」同様のダブルクレードル。開発段階で最高速度230km/hに対応する仕上げを施されてのもので、H1/H2を上回るポテンシャルを示す。が、現在のレベルからすれば剛性感にやや乏しい印象はやむ終えない。しかし、基本骨格となるフレームを別にしても、パワーユニットには多くの注目が集められた。世界的なレースマシンのビルダー達がこぞってZ1のパワーユニットに洗脳されていくのに時間はかからなかった。

 スタータースイッチを押せば、モンスターマシンは軽やかなアイドリングを伴って、心細いほどの排気音とともに目覚める。重量車を感じさせない軽いクラッチレバーを握り、1速へのシフトを踏み込めば、リリースされるレバー比に従いマシンは加速態勢に入る。強制開閉式のミクニ製VM28の4連装が、11,000rpmの高回転域にまで導いてくれるには、あまりにも容易なことと思えるかも知れない。だが、これはモンスターマシンの世界への一歩を踏み出したにしかすぎない出来事だった。


Z1A 1974y

 この年、Z2同様のマイナーチェンジが行われる。耐久性の向上が目的ではあるが、現行でもなんら支障もなく、過剰ともいえるほどの熱の入れようだった。これには、カワサキのもう一つの目的、耐久レース用のベース・エンジンに叶う内容を与えたいという意向もあった。そして’74年、カワサキの夢は、図らずも現実のものとなった。ヨシムラ・チューンのレースエンジンを搭載したエグリ・フレームのマシンが、耐久シリーズの第1戦でいきなりの優勝を飾ったのだ。初挑戦のボルドール24時間耐久も制覇。勢いは翌年も変わることはなかった。


Z1B 1975y 

 Z1Aのカラーリングを変更。出力値などの基本スペックに変更はないが、チェーン自動給油装置が廃止され、ドライブチェーンがグリス封入タイプとなっている。これにより、Z1~Z1Aで発生していた、自動給油装置の不調によるオイル跳ねや潤滑不良を解消。当時はまだ、シールチェーンは耐久性やパワー伝達性に劣るという意見もあったが、それがいらぬ心配に過ぎなかったことを販売実績で証明。より信頼性を増した仕上がりは、Z1の評価をさらに高め、カワサキの地位を揺るぎないものにしていった。(20w×12L)


KZ900A4 1976y

 フロントに待望のダブルディスクブレーキを採用したマイナーチェンジモデル。この他、外観面では、フューエルタンクとサイドカバーの形状も変更。パワーユニットは、より扱いやすさと低燃費化をすすめるため、キャブレターをφ28mm→φ26mmへとサイズダウン。静粛性を高めるため、エアクリーナーは容量アップ。フレームも肉厚が太くなるなど、目に見えない部分の改良も積極的に行っている。細かいところでは、キャリパーの仕様変更やローターを軽量化して、バネ下重量の軽減を図るなど、走りの性能も向上している。また、3系統の新型ヒューズシステムにより電装系の信頼性を高めるなど、走りを支える機能面も充実。まさにZ1の完成形とも呼べる仕上りになっている。

風倶楽部

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